2018年のメトロックというロックフェスでの話です。
岡崎体育さんがご自身の演奏が終了し、ステージを去ると思いきや、ステージの真ん中に立ち
「僕は来年、埼玉スーパーアリーナでライブをします。皆はそんなことはできないと馬鹿にするけれども必ずします!!」
みたいなことを、マイクを置いて5分くらい叫ばれたのです。
メトロックは大中小の3つのステージがあり、岡崎体育さんは中ステージでの演奏。名前は知られていたけれども、当時は埼玉スーパーアリーナで演奏されるようなビッグアーティストではなかった。
演奏で盛り上がった直後だったから余計に(岡崎体育さんのキャラだからこそ特に)少し空気が変わり、観客の熱が下がっていくような雰囲気が漂っていました。
ロックフェスらしからぬ、岡崎体育さんらしからぬ空気に観客は少し困惑気味。
しかし、シーンとなりながらも観客は岡崎体育さんの話を聞き入って、他の演奏中のステージに移る人はほとんどいませんでした。
私も「え?どうしたの?」と思いながら、聞いているうちに、発っせられる言葉の重みや力強さ、真っすぐな意志に、訳わからずに感動をして、それからずっと「岡崎体育さん、埼玉スーパーアリーナで演奏ができたらいいな」なんて時々思い出しては密かに応援をしていました。
その翌年、岡崎体育さんが実際に埼玉スーパーアリーナでライブをされたことを知った時は、本当に「夢が叶ってよかったね~」とすごく感動しました。
私は岡崎体育さんが夢を叶えられた2019年から
「自分の夢をふざけて話すことはしない」
ということをずっと肝に銘じています。
自分が自分の一番の応援団長でいることが大切なんです。他人に自分の夢を叶えてもらうのではなく、自分が叶えるものだからです。
夢を語るときに「どうせ無理だと思うけれど」など否定する言葉を付け加えていないか?
「真面目な話をしたら柄にもないから」とわざとふざけたり、他人の目を気にして空気を読んだ言い方になっていないか?
「こんな大きな夢を持っていると思われたら身分不相応と思われて恥ずかしい」と自意識過剰に陥っていないか?
全て、過去の私です。
子供や親友の夢は手放しで応援できるのに、自分にはできない。
大切な人には「大丈夫」と言えるのに、自分には「どうせ無理」と言う。
心からの夢を真剣に語る時は、腹がすわり、前をまっすぐ見据えて、放つ言葉は清く重いものです。その態度、言葉は必ず伝染し周りの人や環境に影響を与えると信じています。
夢の一番の理解者である「自分」がわざと茶化して、他人の目を気にして、否定することがあってはならない。他人の目>自分の夢、それくらいの安い夢ならば、叶わなくて当然です。
セッション中に、ご自身の夢を語られる時に「どうせ無理だと思うけれど」「こんなことを言うと馬鹿にされそうなのですが」と言われる方が多くおられますが、馬鹿にするわけがありません。
もっと堂々とご自身の夢を語ってほしい、と思います。
自分に「どうせ無理だ」というのか、「私はできる、やる」というのか
自分にどのような言葉をかけるかによって、大きく未来は変わってくると思います。
「どうせ無理だ、私の夢は叶うはずはない」と言うと、周りのサポートは得ることが難しくなります。当然ですよね。本人が諦めているのだから、周りも応援する必要はない。
しかし、「私はできる、私はやるんだ」という言葉を自分にかけると、周りの人も応援したくなります。
元々ファンではなかったにもかかわらず、岡崎体育さんの力強い言葉を聞いてから、岡崎体育さんの夢を応援し、何かできることはないかな?と考えた私のように。
自分の夢に自分で責任を持つ、という事。
岡崎体育さんの動画をここにおいておきます
皆で夢をまっすぐに叶えていってやりましょ。
石田由起子