人のためにしていると思うことの大半は、結局自分のためにしていると思うんです。
電車でお年寄りに席を譲るときも、寄付をするときも、友人にプレゼンとをあげるのも。
【それをしない自分が情けない】
【暗黙のルールを破るのが怖い】
【人からどう思われるか怖い】
【自分がすごいって思われたい】
自分に向けての意識が入っている行動にもかかわらず、『人のため』を全面に出すと、自分の思い通りにならなかった場合こういう不満が出てきます。
『お年寄りにせっかく席を譲ったのに孫を座らせた。それなら私が座ったままの方がよかった』
『困っている人にお金をあげたのに、パチンコで全部使われた。あげなきゃよかった』
『せっかく私が一生懸命選んだプレゼントなのに、使ってくれない』
自分が満たされていないまま、人に与えるから、自分の思い通りの動きをしてくれなかったらストレスがたまる。
私は、まず、自分を100%満たさなかったら、本当の意味での『人のため』の行動はできないと思っています。
自分が100%満たされていたら、余ったものを人に与えて、与えたものがどう使われても何も感じないはず。
そして、『人のため』だと思っていることのほとんどが『自分のため』だと認識することで、人生のストレスのほとんどは解消すると思っています。
『あなたのためを思って言うけど…』
『私はあなたにこれだけ尽くしてきたのに…』
どちらも、自分がしてほしいことがあるけれども、ちゃんと伝えることができないからこういう言い方になっていることを自分で認識する。
見返りを期待してやった『人のため』の行為はすべて自分のためだと認識したらとても楽になるし、自分が欲しいものは何か?と整理しやすくなります。
一昨日、人の相談に長時間乗っていて
『どうして人のためにそんなに真剣に調べたり考えたりできるの?』
と聞かれ、こう答えました。
『全部、私のためです。人が困っていて、自分が一緒に考える余裕があるのに、何もしなかったら、自分のことが嫌いになってしまう。自分をずっと大好きでいたいから一生懸命、一緒に解決しようとしています』
この考えになってから、とても楽しく生きられるようになりました。自己肯定感がとても低かった私がありのままの自分を受け入れるようになったマインドセットの一つ。思い出したからシェアします。
石田由起子