カテゴリー
幸せのヒント

物事の意味づけ

最近、『物事の意味づけ』について、意識的に慎重に扱う必要がある、と度々、感じています。

『物事の意味づけ』とは、起こった事象に対して、どのような意味をつけて観測するか、ということです。悲観的に受け取るか、楽観的に受け取るか、受け取り方によって、ずっと先の人生の質まで変わっていく、と思っています。

例えば、親に恵まれなかった方は、

「親が毒親だったせいで、私の人生はめちゃくちゃだ。私はついていない」と意味づけする人がいれば、

「親が毒親だったおかげで、私は人の痛みがわかるようになり、自分がされて嫌だったことは人にしないように気をつけることができる。私はラッキーだ」と意味づけする人もいます。

脳は自分が発する言葉に対して、証拠を探し始めます。

「ついていない」という言葉をよく発していると、ついていない証拠を探し始め、ついていない現象に出くわしやすくなります。

反対に「ラッキーだ」という言葉をよく発していると、ラッキーだという証拠を探し始め、よりラッキーな現象に出くわしやすくなります。

ずっと不満や愚痴ばかりの毎日を過ごしていると、脳はその言葉の証拠集めを始めるので、泥沼人生が待っていることが簡単に想像できますよね…

松下幸之助さんは面接の際に必ず「あなたは自分がついていると思いますか?」と質問をして、「ついています」と答えた人だけを採用した、という話があります。

成功者は「ついている」と断言する人の潜在的な力を知っていたのです。

でも、本当に辛い時に、ポジティブに意味づけすることはとても困難です。

私も、突然病気になり、毎日ベッドで泣いていた時は、とてもラッキーなことだとは思えませんでした。

どうして、私がこんな目に遭わなきゃいけないの?、と1年以上世の中を恨んで、将来を悲観していました。

でも、少しずつ、意味付けをポジティブに変えていったことで、人生が好転していきました。

私は病気になることにより、家族の絆が深まり、健康の大切さを知ることができ、栄養学に詳しくなり、友人に心から感謝することができ、自分の使命を知り、タイムウェーバーに出会い、起業をして、健康だったら交わる予定のなかった海外・国内の大好きなクライアントさんと知り合うことができました。

病気=可哀相、と受け取るのか、病気=ラッキーと受け取るのかは、自分次第。

事実は病気になったということだけで、その意味づけは本人次第なのです。

どんなに辛い中にいても何かしら気づきや得たものがあると思います。

得たものを少しずつ探して感謝したら、脳も解決方法を勝手に探してくれます。

辛い時に得られた教訓はないですか?

助けてくれた人はいませんか?

本当にささいなことでもいいので、ないものに目を向けるのではなく、あるものに目を向けてください。

絶対、出口の手がかりが見えてくるはずです。

石田由起子